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子育ての旅

〜宮島水中花火2000〜

夏になると1〜2年にいっぺんずつ、わが家では広島に出かけたり
する。
いや、別に実家があるとか親戚がいるとかいうことは全くない。強
いて言うならカープの試合を観に行くのだ。
しかし、市民球場に行くようになる前から、広島には出かけていた
から、なんか気に入ってるのかもしれない。

てんちゃんと一緒に初めていったのが86年、その後は風如が生ま
れ手児奈が生まれ・・・となったので、
「子育ての旅」みたいなところがある。「今年は広島行かないの
?」とついに今年子どもにきかれたし。
あ、でも最初に行ったのは高校生の頃、反核集会に。
で、うぃっとができた84年当時もカープが大好きだったのですが
(あの頃はホントに強かった。なんか90年代以降、すっかり弱く
なっちゃって、いつの間にかチームや選手に要求するレベルが下
がっていることに最近気がついた)、球場には行かなかったな。芝
居と恋愛で忙しかったからな、思いつきもしなかったヮ・・・

今年も8/8から3日間行ってきたのですが(去年6泊7日の6連
戦で読売に3タテされたのを含め1勝5敗と散々だったので、ちょ
い控えめな日程にしました→→それにしてもよォ、何でここへ来て
負けつづけるんだよ!?浩二もジタバタし始めたら途端に全然勝て
なくなったよな)、その前に思い出した去年の話を書きたいと思い
ます。

お盆の巨人戦に3連敗して(最初の試合が1−16というとんでも
ない試合だった。広島に帰省してくる人も多い、シーズンで一番観
客が多い時期の試合に、われらがカープはとんでもない歓迎をして
くれたものである)月曜日。唯一試合の予定のない日。どこで何し
て遊ぼうか?
特に予定を決めず、あんまり考えずにのんびり過ごすってことも
あったりするのですが、この時は違いました。
そう、インターネットをつないでから初めての夏。「これはもう、
地元のイベント調べるっきゃない!」

すると!何と2000年は市民球場で試合のない月曜日とぴったり
重なって、宮島の水中花火大会が開かれることがわかった。ただの
花火と思うなよ。あの鳥居をバックに(前に?)した水中花火だ。
これはきっとすごいに違いない。
広島にはもう10回ぐらい来てるけど、宮島のような観光地は2、
3度行って「ま、いいか」という感じ。しかし花火ともなると、
やっぱ違うよね。血が騒ぐ。
で、早速次に調べたのが現地へのアクセス、行き・帰りの便と混み
具合。そう、絶対混むに決まってるのだ。それを読んだ上で賢く動
いておいしいところをちゃっかりいただく!!(→→地元民を差し
置いて何ておそれを知らない発想??)

検索して調べてみると、おおすごい!!
「島内5万人、対岸に20万人、帰りの便は阿鼻叫喚」・・・そうだ
ろそうだろ、フフフ。われらの最強の脚で、混雑の波をきれいにま
いてやろうじゃないの。

ちょうど宿も移動する日であった。それまで泊まっていた全日空ホ
テルから、ウイークリーマンションへ。落差が味わえる移動であ
る。荷物を置いて、土橋から宮島線に乗る。

駅を過ぎるたびに、どんどん混んでくるのがわかる。おじさんが、
すごい言葉で叫んでる。うーん、やっぱりここは広島だ。怒鳴り声
の響きが違う!!
途中で並行するJRの車両を見ると、ガラスに人が貼りついてい
た。市電の方が、若干楽だったようだ。
うん、これは読み通り。
陸側にある競艇場もいい観覧席になりそうだったが、私たちは目も
くれずに船で宮島へ。
降りると人がだいぶ埋まってはいたが、まだ接触するほどではな
かった。私たちは食べ物屋や土産物屋が並ぶ通りを抜けて、厳島神
社の方面に向かう。
砂浜に入るあたりから進みが遅くなり、人口密度が増す。ひととお
り行ってからいい場所をというにはもう遅い感じだったので、ここ
から先はもう詰まってるかなというあたりで場所を確保し、落ち着
く。ところどころ陰になる場所もあったので、座る場所ぐらいは取
れたのだ。人込みの中にまぎれこんでしまった鹿が歩き回ってい
た。動き回るスペースはあったが、互いに逃れるほどのスペースは
なかった。

写真=みんなで仲良く?花火見物

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「こりゃあ帰りは早めに動かないと、ヒサンな目に遭うぞ」そうい
う予感もしていた私たちは、花火が始まって少し経つと、あとは戻
りながら見ようというモードになってきていた。
たしかに空と水面に映る花火はきれいだった。宮島でなければ見ら
れないような鮮やかさだった。が、それはちゃんと見れた人の話
ね。
上のほうしか見れなかった人にとっては、ただの花火である。私た
ちは文字通り石にかじりついて何とか全景を見ていたが、まあ大体
どんなもんかわかったし、そろそろ去るべか。今なら逃げ切れるだ
ろう。

写真=来る途中に撮ったっけ

と考えることはみな同じだった。とうもろこしを買うどころではな
い。少し行くともう道は詰まり、行くも戻るもままならぬ大きなか
たまりの中に。
てんちゃんが先に行ったが、しばらくすると帽子が見えなくなっ
た。最初は声を出し合いながら確認し合っていたが、やがてそれど
ころではない人の渦になった。怒声がきこえる。「子どもがいるん
じゃ!」みたいなことをどこかのオヤジが叫ぶ。おばさんも何か叫
んでいる。ここは広島である。しかし、そんな感慨に浸っている余
裕はなかった。子どもたちは見失うまいと気をつけて位置取りしな
がら流れを漂う。そうしながら「よし、風如と5ゲーム差、手児奈
と3.5ゲーム差だ」と位置関係を確認しながら、少しずつ進ん
だ。
子どもたちも見え隠れしながらなのだが、前にいた風如の方が先に
見えなくなった。花火はボンボコ上がっていた。それをみて余裕か
まそうと思ったが無理だ。できるだけ端の方、露店ぎりぎりにコー
ス取りをして、状況によっては周りを先に行かせ止まれるように心
掛けた。こんなに混んでるのに露店では何も売れない。この人の流
れがどうなるのか、見通しは立たなかった。お店の人もこの嵐がす
ぎるまでは黙ってみてるしかないだろうって感じで、しょーがなさ
そうに立ってた。その辺が見えて少しは安心できた。もしか流れの
まん中にいたなら、もっとパニック状態だったかもしれない。そう
いう意味で、自分の判断は正しかったと確信した。とはいえそこで
将棋倒しでも起きてたら、鉄板で大やけどをしそうな位置だったと
も言えるが。
手児奈ガ見えたので、手を伸ばして何とかつかまえた。もうだいぶ
大きくなったとは思っていたが、それでもこの人の波の中では、も
う少し上背がないと苦しい。なかなか思うように動けないようだっ
た。
足元が砂から舗装道路に変わる頃、やっと混雑を抜け、その先は普
通に歩ける流れになった。しかしてんちゃんと風如は見つからな
かった。まぁてんちゃんは何とかやってるだろう。しかし風如ガ心
配だ。当時中1とはいえ、奴は間が悪いという印象が強いし、気が
やさしいのでビビリまくってるんじゃないかって。しかも背はある
ので、コワイ兄ちゃんにボコられてないか、それが一番心配だっ
た。
名前を呼びながら、歩いていったが、港に着いてしまった。途中で
携帯の電源を切っていたことを手児奈にきかれて気づいた。さす
が、しっかりしてやがる。っつーか、それまで気づかなかった俺は
何なんだ。
一段高いとこに上がって、人の流れの中に、二人がいないか探す。
この時点では、二人が一緒にいるかどうかは知らない。だが、何と
か落ち合っていてくれと思った。ウィークリーマンションの鍵を2
本とも俺が持ってたのはまずったな、しかも荷物を置きにチェック
インした時てんちゃんは一緒にいなかった。今回は「班行動」に重
点を置いたりいろいろやってみたのだが、ちょっとこれは落とし穴
だったかな???いろいろ思いが巡りつつ、間にトイレなど挟みつ
つ、帰りの切符も買いつつ(結局違うルートの船で帰ったのでこれ
は無駄になったが)時が流れる(今思うとこの一件が最大の班行動
になったのだが)。
やがて二人とやっと会う。てんちゃんは俺はとっくに先に行ってる
だろうと思ったようで、手児奈をとても心配してた。手児奈を心配
するのはわかるが、俺はこんな状況でさっさと行っちゃって、さら
に船に乗って先に帰っちゃうなんてことはしないって!!
風如とてんちゃんは、人の渦が途切れたあたりで、すんなり落ち合
えたそうだ。が、そこで4人は会えなかった。向こうは向こうで、
俺は先に行ったと思っていたし、手児奈に関しては、私たちよりだ
いぶ先について、さがしてもらうよう、連絡を取ったりもしていた
ようだ。なるほどそういう判断、動き方もあるか。
私たちは私たちで、二人は港までは先に行ってるだろう、途中で
待ってるとは思わずにどんどん行ってたから、もし私たちのほうが
先だったらまた違う展開になっていただろう。
やはり携帯に電話は入れてたようで、でも切ってあったら役に立た
ないよな(ちなみに携帯持ってるのは私のほうだけ)。
いろいろ反省や教訓は浮かんできた。いざって時にそれぞれどうい
う行動をするかってことも、お互い知らなかったりもした。今後の
ためにも、そういう確認や動き方はしといた方がいいなと思った。
こういう時、意外に4人とも慎重で、でもその慎重さがどういう形
で現れるかにそれぞれが出ているようでもあった。
宮島口へ向かう船の便の列は絶望的なほどで、「市内につくのは1
2時」というネットの情報が頭によみがえり、「やっぱそうだよ
な」と思った。宇品へ向かう高速船に乗ることにして(こっちも並
んだけど)一人2000円ばかりをはたいた。宇品からタクシーで
宿に戻ると、やはりそれぐらいの時刻だった。
「今度行くときには・・・」と言おうと思ったけど、「もう行かね
え」と言われそうだったので、やめた。

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翌日はくたびれてたし、昼間はのんびり過ごして反省会をした。以
下がその時のメモ。

写真=平和公園そばでお茶(花火に行く前に)

・きのうの花火のできごとは、いい経験したと思う。
・大人にとっても子どもにとっても
足りないところ 見えた。
・花火でよかった。震災じゃなくてよかった。
・いちばんこわいのは人間。ひとりひとりの心がパニックをひき起
こす。
・宮島 市電に乗った時点で あっから先ずっと 混んだ中行くとい
う覚悟がいった。
・もっと混まないところから乗る。もしくはJRで行くことを考え
てもよかったのでは。
・松大船に乗った
・鳥居のそばまで行ったこと
・早くたどりつけなかった
・ビール 宮島口でのビール 350円していたのに、島で240円
だった。参道のお好み焼きやがおいしそうだった。
・鳥居までの途中の道 慣れていない。そういう意味で深追いしす
ぎた。
・あそこまで行ったなら よく見えるところに行ってじっくりみれ
ばよかった。
・鳥居がちょうど黒く影になり くっきりみえるところがありがた
みかも。
・宮島花火の帰りは阿鼻叫喚 地獄絵図
ホームページの情報どおりだった。
・まずとにかく とにかく4人以上になったら、先頭と最後尾をか
ためること。
・群集の流れの中に入ったら 自分たちの仲間をさがしながら その
人の流れ全体がパニック状態にならないか制御しながら、なにか
あった時は自分がまきぞえにならないような位置にいく。押されて
もそのとおり次の人間を押さない。
・できたら力の流れをかえてやる。実際の力、ことばで。エネル
ギーをどう分散させるか ということに気を配ってうごく。
・そういう風にうごければ まわりの人も作用しやすい
・出口で待っている ここが出口というポイントを見極める
・家族4人で同じ“災害”にあったというところがすごい。得がた
い経験。
・目のとどく範囲、位置にいることがポイント。
・ちょうど そういうことを考えるのにいい時期であった。子ども
の年齢、家族の年齢
・ケータイがもう1台あるといい
・広島へ なにしに行くかという目的。
育ちというものを確認する
家族というもの 確かめる
・4人いるとわがままをいうし、
2人・2人でいると
ちがうことをいうし、ちがう顔みせる。
・危機管理。地獄絵図をたのしむところはほしい。
何でどこへ来たか、 どうやって帰るか
知っておく必要がある
・チェックインに時間かかったりして 状況はみえなかったが、逆
に チェックインは全員で。キーもひとりで持っていた。 連絡先と
か 持たせておく
・毎日ミーティングをするとか

なんてことが去年の夏にあって、書こうと思いつつ1年近く経って
みたら、何と!
この間の明石の花火での歩道橋の大惨事。

これまで書いてきたことがゲロ甘で、ほとんど無力で、ちゃんちゃ
らおかしく思えるほどの、凄まじい事故、事件だった。こういう
時、真っ先に犠牲になるのは子どもたちだ。身動きもできず息をす
るのも困難で、潰されやすい。だから大人は大声上げてでも度突い
てでも子どもを護ろうとするが、その限度をも超える状況だったの
だろう。周りが囲われていたことがさらに悲劇だったと思う。


ここまでの文章で、遺族の皆さんや周りにいた方々にとって、悲し
み・怒り・許せない部分があったとしたら、素直に認め、謝りま
す。
ただ、昨年の時点で、間違えば大きな事故になったであろう状況に
遭ったにもかかわらず、懲りもせず、難を逃れればこれぐらいの認
識なんだってことも含めて、記録し、伝えておきたかったので、そ
のまま書きました。

明石の事件に関しては、報道で見ただけで詳しく語れるというほど
のものではありませんが、人災だったのだろうし、あの時歩道橋の
上にいた人それぞれがそこにいてしまったこと自体には落ち度はな
いと思います。
が、いざ駅を降り立った時点で、あるいは引き上げようという時点
で、正解は?ということで問われれば、「歩道橋を回避する」とい
う判断をしたかったと思います。もちろん、今さら言っても仕方の
ないことですし、実際にその場に居合わせて私たちがそういう風に
動けたかどうかは、わかりません。

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あと、報道で気になったのは、どう人の流れを制御するか、管理・
統制するか、という方向の話が強くて(それがいらないというわけ
ではありません。その点において、主催者側が使えなかったわけだ
し)、そのありようが、なんかイヤな流れに感じます。
突き詰めていっちゃえば、災害時・非常時・あるいは困難な時にあ
たって、じゃあ強いリーダーがいて統率のとれた指揮系統があれば
・・・でいいのか?石原や小泉のような奴がいればいいのか??責め
られ、どつかれ、堂々と痛みを強いられてもいいのか???なんか
そういうものにつながるものを、感じてしまう。

単にこの事件や報道だけに関してということではなく、この景気も
悪く、先行きも暗く、ヤなことばっか起こってる日本において、そ
れでも価格破壊や逆にブランドものなんかにも人が群がり、イベン
トには行列をなし、一方で去年の森なんか昔だったら降ろされるよ
うな言動を10回ぐらいはしてただろうに人々が国会を囲むでもな
く「拒否」の意思表示をするでもなく(議会は、まああんなもんで
しょう。そもそも議会や議員が何とかしてくれるだろうってこと自
体、考えが甘いし)、で、小泉人気や自民党圧勝、いいものだけ
削ってホントに改革すべきを温存するまやかしの「構造改革」が進
められる、なんかそういう中での1つの象徴的な出来事に思える
(それにしても、そういう「象徴的な出来事」の最近多いこと
!)。

個々のありよう、判断・行動、大勢の中で一人一人が心掛けるべき
こと、そのあたりについて、(変な方向ではなく)もっと突っ込ん
で話し合われてもいいんじゃないかって思う。
ある限度を超えたパニックの渦中になれば、個人の力や心がけでは
どうにもならない大きな力が働いてしまうだろうけど、ならない時
点で、冷静に考えられたり動けたりするような間で、考え直してみ
るべきこと、心がけたいこと、広くみること、深く突っ込むこと、
理解し、許容すること、まやかしを見破り、許容しないこと・・・・
もっと必要だと思う。それは「個人のが第一」であれ、「みんなが
第一」であれ、どちらでも、それぞれに、必要なことであり、両者
の間で責め合ったり逆側のせいにしてすませたりすることではな
く、さらにできればそれぞれが両方の視点を持って、考えていくべ
きことだと思う。

昨年の話に戻って言えば、子どもがもっと小さければ、もっとくっ
ついて、それこそ「あ、これは大変だな」ってみえた時点でしっか
り手をつなぎ、突っ込まず慎重に遅い者合わせで行っただろう。
もっと大きくなれば、きっと子どもたちは友達と一緒にこういうと
こへも出かけ、混雑の中ではそれぞれ個人で動くだろう。家族で一
緒には、滅多に行くまい。行っても集合場所か時間か何か決めとい
て、あとはピューだろう。私たちの場合でも、地元辰巳でのイベン
トだったら、そういう動き方をするだろう。
わが子二人には、とても感心させられる。もちろん、弱さ・足りな
さ・頼りなさというのもあるのだろうが、現在中2と小6という年
頃にして、家族をとても大事に思ってる、大好きだってのが、言葉
や行動の一つ一つに現われる。それは遠くへ出かけたからではな
く、日常的に感じることである。自分が同じ年頃の時とは違う
なぁって思う。私たちの世代は、子どもらにもっと教わるべきなの
かもしれない。

とても大切なものを、確かめられた出来事だった。
これから先、子どもたちも大きくなって、段々離れていって、また
その時なりの距離をとりながら、出かけることもあるんだろうな。
いつまでこういう形で一緒に広島に行けるかはわからないけど。
災害が起きたり、日本がどうにかなっちゃったりしたら、家族が互
いに手を伸ばし、一緒にいようって形が、また見えると思うけど、
願わくば、そのような事態が訪れませんように。

写真=鐘ついてポン

今年ですか?今年は期間も短い「裏年」だったし、いろいろ詰めた
後だったので、ひたすらのんびり、野球以外は私はほとんど寝てま
した。リーガロイヤルの、とってもいい部屋ということもあって、
いくらでも寝ちゃいましたよ。球場のすぐそばだったし、めちゃめ
ちゃ贅沢ですね。 (niko)

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